私、47才で会社辞めました

外資系企業でモーレツに働かされ、最後の会社で燃え尽き症候群になる一歩手前で会社辞めました。女、独身の気ままな身。地方に移住して自然を満喫し、時々国内外を節約旅行しています。

パラオのおじさん

最近、旅行番組などでパラオ特集を見る機会が増えた。

 

パラオといえば、グアムで会ったおじさんを思い出す。

1988年、「どうせ当たらないだろう」と思って応募したアメリカのグリーンカードの抽選に当選した。

すぐに住む予定はなかったが、グリーンカードを維持しておきたいので、三ヶ月に一度はアメリカ領内へ入国することにした。

 

アメリカ本土への航空券は10万円ほどと高いので、近場のアメリカ領グアムだったら5万円ほどですむし、週末を使って行くことができる。

金曜日の午前中で会社を早退して、グアムへ飛んだ。

宿泊予約したのは、一泊30ドルの地元の人たちがよく泊まるモーテルのようなところ。

普通の日本人観光客は,タモン湾沿いのリゾートホテルに泊まる。

 

そのため、日本人観光客(?)が一人で泊まっているのが珍しかったのだろうか。

ロビーにいると、色が黒い50才くらいのおじさんが話かけてきた。

パラオからやって来て、議員をしているという。

話していると、おじさんが突如、「前から一度、日本人女性とやってみたかった」と言った。

 

「へっ!?」

おじさん、、、議員という立派な身分の人が、そんなこと言っていいのかよ。。。

それに突然そんなこと言われても、こっちも選ぶ権利があるんだけど。。。

そして、なぜ、日本人女性と?

 

あきれて無視をしていると、おじさんは「島一周のドライブに連れていってあげようか?」と言った。

 

そりゃあ、せっかく来たんだから、恋人岬とか行ってみたいし、あちこち見たい。

でも、このおじさんは、「日本人女性とやりたい」のだから、途中で襲われたらどうしよう。。

はっきりと、「島一周には行きたい。でも、やりたいは諦めてくれ」と、言った。

おじさんは、未練がましかったが、「わかった」と言って、本当に襲われることもなく、あちこち連れて行ってくれた。

その時に、恋人岬でおじさんに撮ってもらった写真が今でも残っている。

ドライブの途中、おじさんはパラオでの生活を話してくれた。唯一記憶に残っているのは、「パンの木」。 

 

パンの木って、パンが木になるんですか?」と聞くと、おじさんは、ガハハと笑い「いや、果物だよ」と言った。

今と違い、スマホで撮ったパンの木の写真を見せられるわけでもなく、パンの木ってどんなんだろうと想像が膨らみ、見たくてたまらなかった。

 

おじさんはグアム島の見所を余すことなく案内してくれて、地元民で賑わうバーベキューに立ち寄り、何事もなく無事にモーテルに戻った。親切なおじさんだった。

 

あの時は、パラオと日本の歴史を全く知らなかったので、「なぜ日本人女性?」と疑問に思った。

今は前の天皇陛下が訪れたことで歴史を知り、かつて日本がパラオを統治していたことがわかった。で、あのおじさんは、元統治国の女性に特別な思い入れでもあったのか

。。?

 

おじさん、生きていれば85才くらいになっていると思うけど、元気かな。