私、47才で会社辞めました

外資系企業でモーレツに働かされ、最後の会社で燃え尽き症候群になる一歩手前で会社辞めました。女、独身の気ままな身。地方に移住して自然を満喫し、時々国内外を節約旅行しています。

入院中に考えたこと。

11月中旬から下旬まで、緊急入院をした。

 

5回目のコロナワクチン接種後、初めて高熱が3日間続き、ようやく下がったのに、

下腹が痛い。そのうち治るだろうと、市販の鎮痛剤を飲んで痛みを紛らわしていた。

2週間経っても痛みは変わらないので、もしかすると、どこか悪いんじゃないか?

と思い始める。

 

土曜日に近くの総合病院の緊急外来へ行った。薬だけもらって帰ろうと思っていたの

だが、CTスキャン検査をしたところ、婦人科系の病気で、そのまま入院となった。

小学校3年生の時に入院して以来、病気はしていないので、ショックだった。

それも、よりにもよって、この私が婦人科系の病気で入院なんて。。

男性と同じように、いろんなことをやってきた私だが、やはり女なのであった。

当たり前だが。。

 

何の準備もしていないので、姉に連絡をして、パジャマ、歯ブラシ、洗面用品などを

持ってきてもらった。

こんな時に、独身、子供なしの身分は肩身が狭い。普通なら、夫や子供が「大丈夫か」と、飛んできてくれるのに、忙しいんだからと言われても恐る恐る姉を頼るしか

ないのだから。

今後、いざとなった時にどうするか考えなきゃ、と思い知らされた入院だった。

 

入院中は、一日中24時間点滴をして、それが10日間続いた。

病院のご飯はまずいと、よく言われるが、私にとっては、ヘルシーでよかったと思う。

特にいいのは、自分で作らなくていいし、後片付けもしなくていいこと。

何もすることができず、寝ているだけだから、一日3回の食事しか楽しみがない。

ある日のランチは、ビーフカレーでおいしかった。もう一度食べたい、と待って

いたが、退院するまでに再度お目にかかることはなかったのが、残念だ。

 

点滴をしながらでも、シャワーは浴びれる。最初は大丈夫かよ、と思ったが、看護婦さんが大丈夫だ、と言う。そう言うならと、点滴の棒をドアのすぐ外に置き、針が刺さっている腕のあたりがシャワーで濡れても、本当になんの問題もなかった。

シャワーの棒を引けば、自販機にコーラを買いに行ったり、トイレも行けるので、

思ったほど不便はない。

ただ、姉が忘れて持ってきてくれなかった乳液を1階の売店に買いに行きたくても、病棟から出ちゃだめ、といわれたので、その点だけ不自由だった。

 

食事の間の暇な時間は、ベッドに寝ながらNetflixを見まくった。スマホで見ているから

画面が小さくて目が疲れたが、他にやることがないのだから、仕方がない。

病院のWIFIを毎朝350円で契約して、一日中、見ていた。

 

あとは、考え事だ。

あれほど、食事、運動と健康に気を付けてきたつもりなのに、突然病気になるのだ。

それなら、毎日を楽しく生きるしかない。

それと、やはり年金受給を繰り上げて良かったと、しみじみ思う。

明日はどうなるかわからないのに、年金受給を繰り下げる人たちがいることが

信じられない。

 

若い頃から、給料は物よりも旅行に使ってきた。今まで行った国は47か国。

いろんな人に会い、信じられないような良いこともあったし、悔しいことも少しあった。思い出はたっぶりだ。

多分、家一軒買えるくらいのお金を旅行に使ったはずだ。でも、ちっとも、もったいな

いと思わない。旅行だって、若くて健康なうちに行っといたほうが良いのだ。いくらお金を持っていても、病気になったら行けないのだから。

もし、行きたい所へ行っていなかったら、入院中にものすごく後悔していたかも、

しれない。

 

入院していかに健康が大事かを思い知った。多分、お金よりも何よりも一番大事だ。

今まで私一人で何でもやってきたのに、入院している間は、下の売店に行き好きなものを買いに行く自由もないのだ。

そして、健康で過ごす普通の生活がいかにありがたいことか。

 

退院したら、お酒はやめ、睡眠時間を増やし、ストレスを溜めないようにして

一日でも長く健康な生活を続けていけるようにしよう、と決心した。